ウォーキング中に思ったことを書き連ねます。
前方を歩く年配の方に追いつきそうだったので、横道に入りコースを変更した。すると、いつもと違う光景、栗やクルミどんぐりが道に落ちていて秋を感じた。沢を流れる水の音や、虫の声などに気が付いた。気候も丁度よく気持ちのいいコース変更になった。前方を歩いていた年配の方に、「ありがとう」と、心の中でお礼を述べた。
歩道を歩いていると、前方から来る人とすれ違う際、端に避けることになる。小学生3人が会話を楽しみながら、横に広がって歩いてきた。しかし、私とすれ違う20mくらい前から、3人は縦一列で歩き始めた。おかげですれ違いやすく、お互いに挨拶をしてすれ違った。小学校の校長先生に、道を譲ってくれる良い生徒に出会いましたと、伝えたいくらいであった。心の中で「校長先生ありがとう」と、お礼を述べた。
住宅街の信号機のない交差点に差し掛かったとき、前方から来た1台の車が、突然クラクションを鳴らした。少し驚いたが、よく見ると私の右側の道から、バックして交差点に出てくる車がいたのだ。おかげで私もその車に気が付き、立ち止まることができた。横道から出て来た車もいったん停止した。コース変更になり、知らない道で危くケガをするところであった。クラクションを鳴らしてくれたドライバー、それに気が付いて停止してくれたドライバーに「ありがとう」と、心の中でお礼を述べた。
いつものコースに戻り、いつもと違う時間帯に歩いていると、車の交通量が多いことに気が付く。普段車が来ない道路も、数台と遭遇する。道幅が狭いところでは、安全のため立ち止まり、道路わきに退避する。車が追い抜くとき、または、すれ違うとき、ドライバーからサインをもらう。会釈だったり、ハンドルから手のひらを上げてのサインなどだ。総じて「道を譲っていただきありがとう」の意味だと、勝手に解釈している。承認欲求のために立ち止まったのではなく、お互いの安全のために、立ち止まっただけなのだが、この地域の人はとても良い人ばかりだ。私も「ありがとう」と、心の中でお礼を述べた。
コースが違うと、新しい発見がある。こんなところに畑があったのか。大豆が大量に育てられているな、とか、あれは、スイスチャードではないか、とか、こっちの畑の大豆は、成長が良いな、とか、野沢菜がもうこのサイズまで成長しているの?早いな、とか、ここだけ土地が開けていて畑が広いから、第三紀層地すべりが昔あったんだろうな、とブラタモリ的な楽しみができたり、とか、先日の豪雨で崩れているところを見たり、とか、川の岸にある足跡は何だ?鹿?イノシシ?とか、新しい発見で体も軽く、とても楽しいお散歩でした。いや、ウォーキングでした。新しい発見に「ありがとう」と、心の中でつぶやいた。
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